不均衡への崇拝

 

Q1.なぜ筆者は日本人学生の日に対する質問の答えに驚いたのか。
Q2.西洋人は美を何と考えているか。
Q3.日本人的美は人々に何を促すのか。

美とは何でしょうか。みなさんは今まで、女性は、あるいは男性は美しいと思うことを不思議に思ったことはありますか。なぜ私たちは、ある物を、景色を、衣服や音楽、そして食べ物さえも美しいと思うのでしょうか。もちろん、それはなぜなら私たちは生まれながらにして美的感覚を持ったいるからなのです。たとえそれを上手く説明できなくとも、それを見たとき、それが何であるかわかったとき、私たちは美しいと感じます。

 最近、私は日本人学生のグループに自分らの考える美しいと名づけられるものについて訊きました。驚きべきことに、多くの学生がアメリカやイギリスの若者と似たように答えたのです。例えば、大多数の生徒が、新宿の東京都庁舎やニューヨークの摩天楼のような近代的高層建築物を日本の伝統的建築物より好む傾向にあったのです。そして、ほとんどの学生が日本の音楽より、西洋の音楽を好むようでした。

 日本人と西洋人の美学の主な違いはなんでしょうか。西洋では、私たちは、対称性、均整、均衡、そして完成度のような性質を賞賛します。さらに、私たちは、生活と芸術はとても隔離されるものと考えます。私たちが賞賛する芸術は私たちの生活から離れて外にあるものなのです。例えば、1つの音楽や絵画、小説などの芸術は、完璧で調和がとれており、そして美しいのです。

 しかしながら、日本の伝統的美学において、それは不完全、単純さ、不規則、暗示のような美しさを形作る質と反対です。西洋芸術の完璧さは私たちにほとんど想像の余地を与えませんが、日本の美は不完全における完全への想像によって、美の経験に参加をもたらされるのです。そして、生活に反するというよりむしろ、その参加は精神の発達という重要な役割となるのです。

重要語法

・tend to V(原型):〜する傾向がある

・almost all the 名詞:ほとんどの〜 ※theをつけることに注意

・in (direct) contrast with〜:〜に対照的 

・invite O to V:OにVするよう促す

・in opposition to〜:〜に反対〔対抗、対立〕して

Q1.なぜ日本の芸術では画一的なものは望ましくないと考えられるのか。
Q2.兼行が冬の景色を見たときに、彼はなにを想像したか。
Q3.多くの日本芸術の形態の衝動は何か。

兼行によると、日本の芸術では「画一的なものは望ましくない。何かを不完全さを残したものは、それを面白くし、成長の余地を残す。」 西洋の芸術では、私たちはモナリザののような完璧さを賞賛しますが、日本では、竜安寺の石庭や、かけた茶碗のような不規則な美しさが、目にみ見えるものを越えた何かを想像させます。竜安寺や他の寺の石庭を訪れた人は、その意思を見たとき、海景色や山岳地帯などの多くのものを想像できることに気付くでしょう。

 このような美的感覚の一つの原因としては、おそらく日本人の自然に対する愛と移り変わる景色にあります。兼行のような人々が冬の景色を見たとき、なぜか初春の芽が近づいていることを想像し、冬景色の美しさに気付くでしょう。少ない富士山についての芭蕉の俳句の一つによると、濃い霧が彼が山を見ることを妨げています。しかし、彼はそれでも不思議に霧に隠された本当の富士山を思い起こさせる美しい俳句を書くことができました。私たちの多くも同様に、その俳句によって思い起こさせられます。なぜなら、私たちはすでに富士山をみたことがあり、そのそてもはっきりした像を持ってるからです。それで、私たちは簡単に富士山の山全体の形を想像できるのです。

 これらの全ての場合において、作用しているのは暗示の力です。見られるもの、描かれるものを越えた意味が存在することを私たちは信じるように求められているのです。部分的な富士山の姿を見ると、その全体が想像でき、冬景色を見ると、春の訪れを想像できます。しかも、人生の流れと移ろいやすさの感覚はそれ自体美しいものなのです。西欧では、生活と芸術はまったく相反するものであり、永遠な、完璧なものを創りたいという衝動は、不完全で移ろいやすい私たちの人生と自然の流れをしのぐものです。しかし、日本では建築から俳句までの、多くの芸術の形態の衝動は、むしろ自然の中、移ろいやすく不完全な人生自体の中の私たちの位置を祝うものです。

重要語法

・imagin O Ving:Oが〜するのを想像する ※OとVingは主語、述語の関係

・prevent 人 from Ving:人が〜するのを妨げる ※preventはkeepに書き換え可

・and that〜:しかも〜

・in itself:それ自体で

Q1.すぐに、著者は茶道を好きになったか。
Q2.茶道の大きい成果の一つのは何か。
Q3.どのような種類の感覚が茶を発展させるのを促すか。

 日本の美的感覚を見る一番の方法は、日本の茶道を学ぶことです、それは多くの日本の美を側面を一緒にもたらしてくれます、最近の多くの若い日本人はアメリカの文化にだけ興味を持ち、茶道に対しては偏見を持っています。彼らは、茶道を結婚する前の若い女性のするばかげた気晴らしだと思っています、しかし、元々それは、男の人だけで行われていました。

 多くの日本の若者のように、私も初めは茶道が嫌いでした。一回、茶会に出席しましたが、とても退屈で堅苦しかったのです。私は二度と行きたくありませんでしたが、数年後、私の友達が私を、彼の茶の先生の家に招いたのです。その先生がとても素晴らしい初老の女性で、彼女の茶室の雰囲気が穏やかで感じが良かったので、先生が私に生とになるよう頼むまで通いつづけました。徐々ではありましたが、茶の美しさをわかり始め、その独特な世界から恩恵を得ることができました。多くの人は茶道の感覚においては、つくりものであると思っています。しかし、全ての芸術はある意味、つくりものであり、全ての芸術はその良さがわかられるのに時間がかかるものなのです。私たちは、子供のように、シェイクスピアやワグナーの良さは十分に理解することはできません。似たように、私たちが、音楽や絵画、文学を学べば学ぶほど、その価値がよりわかるのです。茶道も同じように良さがわかるのには時間がかかるのです、

 茶は禅の哲学、儀式から建築、作法、行儀、焼き物、絵画、書道、料理、衣服、花、香にいたるまでの全てが含まれています。そして、全ての茶の面では、控えめな表現で不規則な表現と暗示の感覚こそが美の効果を形成するためにもっとも重要なことなのです。

 しかし、茶の偉業の一つは、それが美しさを私たちの生活の一部に形成させたことです。西欧では、精神の養成は宗教しだいです。私たちは、芸術鑑賞が自分たちをさらに洗練させるとは信じていますが、芸術鑑賞を精神発達の要素とは考えていません。しかし日本では、剣道や稼動、茶道のような伝統的な芸術は、禅に基づく精神成長に向けられてます。茶の行く先全ては精神成長にあります。しかし、茶道は、美しさをこの経過の役割として用いる点において、独特なものです。私たちが創造した茶道での美しさの世界への反映は、控えめさと謙虚さの感覚へと導きます。この謙虚さの感覚は世界の本当の場所を理解するのを促してくれるので、したがって、精神的に成長することができるのです。

 西欧で、私たちは壁に絵画を掛け、離れてそれを鑑賞しますが、それ自体では私たちの人生を美しくはしてくれません。茶では、現実的な方法で私たちは人生につながるようになるために、実際に美しい道具を使います。西欧では、生活と芸術は初めから離れたもので、茶での生活と芸術は、不思議で深遠な方法で結合されます。なぜなら最初から教えは私たちの精神成長の要素であるからです。美しさが私たちの人生の一部になることによって、茶は枠組みと構造を作るのです。

 私にとって、精神成長に役に立つこの流れる美観、その人生への制限ない関係とその美の活動は日本文化の独特な偉業です。私は日本の多くの若者、特に若い男の人は茶道に興味をもち、その価値をわかるほど十分に時間を過ごし、残りの世界とそれを共有するのを助けてほしいと願っている。

重要語法

・the more 〜, the more … : 〜すればするほど・・・

・from the beginning:最初から

 

ポイント

@日本と西欧の芸術の対比

日本:・生活と芸術の融合→芸術鑑賞で精神的に発達する
    ・無常感に基づく不完全さ→完璧さへの想像

西欧:・生活と芸術の離別→洗練されるとしか考えない
    ・完全、永遠→想像の余地はない 

A茶道を代表とする日本芸術の特徴

禅に基づく→謙虚さの会得→精神の成長→世界の理解

B著者の芸術論

芸術の理解には時間が必要

 

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