フィリピンにおける英語:自立性の問題

今回は自信なし・・・後半がムズイって!気をつけて!

 

 ほとんどの日本人はおそろく日本語を話すことを当たり前のことと思っていて、日本語が彼らの自立性の一面を担っていることはいうまでもない。しかし英語ではどうだろうか?日本では、英語は外国語として勉強する。しかしながら、ほとんどの日本人が英語は重要だと感じていそうなのだが、必要不可欠であるということではない。彼らはとても上手くそれを無しに生活を送ることができる。他の国、特に以前のイギリスやアメリカの植民地では、英語は人々の生活でとても重要な役割を演じている。そのことは国民性の観念と密接な関係とさえ絡んでくるのだ。フィリピンはそんな国のひとつである。

 誰も日本語は日本の言語であることに疑問は持たないが、フィリピンの言語はなににすればよいのだろうか?この問いに対する答えはフィリピンの主要な8つの各言語グループの現地人の間であつく討論されている。ピリピノ語というほとんどタガログ語と同じ言語が1959年に国語に指名された。ピリピノ語ははっきりとタガログ語を母国語とする人を味方するものだったので、何人かは英語は良い代わりのもの母国語として働くだろうと提案した。英語は8つのどの現地語グループにも偏らないものである。

 結局は、英語は母国語として選ばれなかったが、まだフィリピンの公式的言語である。そういうものとして、英語は政治、商業、教育界で重要な役目を演じている。それにもかかわらず、多くのフィリピン人が英語の価値について疑問に思っている。便利というよりはむしろ、英語はフィリピン人の背中をつかむことがある。

 マニラの新聞社で出版されたエッセーで、女性フィリピン人の記者が、最近に日本へ行ったときの問題について書いた。レストランに入るたびにチキンをたのもうとするのだが、失敗してしまうのだ。彼女は日本語を話せないので。手を鶏のように空中でばたつかせようとし、そして鶏のように鳴き真似さえもしたが、だれも彼女をわかってくれなかった。

 『日本人は、』と、彼女は不平を言った。『未来言語、つまりコンピューターについては成功しているかもしれないが、彼らは商業、国際関係の言語から、そして今日の世界のふつうの人々から遠くかけ離れている。』

 その言語というのはもちろん英語のことである。しかし、記者の日本人に対するいらだちと失望の根源は、私たちの持ってる英語の能力はなにを成し遂げるのに助けられるかという、しばしば教養のあるフィリピン人にされる質問である。フィリピン人の英語からの遠ざかりとピリピノ語への近寄りの傾向である。この傾向は世界市場の大きなシェアと戦う必要性より、国民の独自性を重要とするという調査を示してくれる。

 英語がフィリピンに紹介されたのは、1899年から1946年にフィリピンを征服していたアメリカによってである。彼らは懸命に自分らの言語を広め、英語が専攻科目であった全国公立学校制度を築いた。しかし英語は家や通りで使うような言語にならなかったので、多くの生徒が彼らの教育から早いうちに脱落してしまった。それでも、民衆の第二言語となったのだった。セブ島出身のビサヤ語を話すビジネスマンがタガログ語圏のマニラにきたとき、彼らはよく英語で話す。

 フィリピン人は何年も西との接点をもってきた。フィリピン人はスペイン人に350年間、16世紀初頭まで支配され、そのあと47年間アメリカによって支配された。それによりフィリピンの文化や言語はは西の影響を大きく受けた。そのため、実際にある人々は文化は被害を被ったを言っている。このことが国民語への動きの背景の大きな理由となっているのである。

 タガログ語を基礎としたピリピノ語の使用を主張している多くの国粋主義者が英語は国の植民地時代を思い出させると言う。彼らが言うには、英語はかつてのスペイン人のような、金持ちや権力者の言語であるという。あるピリピノ語への勢力の兆候としては1990年のフィリピン大学の、科学と他の工学分野を除いた全ての課程をピリピノ語で教えるという決定である。当時の大統領のコラゾン・アキーノは高校も同じようにするように指示した。

 英語の価値が疑問視されているのは明らかである。一方で、英語は自分らにとって重要であるとまだ信じるフィリピン人もたくさんいる。彼らは英語はフィリピン人に商業における競争力だけでなく、科学におかえるそれや学術的な分野に貢献すると信じているのである。

 今日、65%前後のフィリピン人が英語が話せると言っている。政治での法律や講演は英語であるとはいえ、ピリピノ語はますます多く耳にするようになっている。田舎の地方でさえ、看板の文字はほとんど全て英語である。アメリカのテレビ番組は英語で放映されているが、それと同様に、重要な問題を討議するフィリピン制作のテレビ番組も英語で放映される。

 生徒はかつてほど上手ではないが、教養が少ない者でさえ日常会話で英語の言葉を使うと教師は言う。高地位の間で、ピリピノ語と英語は完全に混ざってきているのだ。しばしば文章は1つの言語に始まり、他の言語に変わり、そして最初に戻るのです。

 国の言語の最高峰である先ほどのの大学教授アンドリュー・ゴンザレスによると、英語は経済発展の役目を演ずるという。ゴンザレスは英語の使用をやめることに賛成していないが、英語だけでは十分でないとも指摘している。一方、フィリピン人も英語の知識による利益を否定できないのと同時に、彼らは自分たちの国民意識を伸ばしたいのだ。英語を維持するかしないかの論争は、ピリピノ語はフィリピン人にとってきわめて重要であり、人々の国民意識に影響するようになるほうに傾いている。このような風潮にもかかわらず、英語はフィリピン人の将来で重要な役をし続けるのに適当であると思う。あなたは日本で英語がそんな重要な役目をすることを想像できますか?

 

 

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