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今週のつぶやき!

日々思うこと。なぜか考えたこと。いつかしたこと。いつでもしてること。


2007/05/23    くだらないこと




毎日くだらないことを考えて暮らしている。
 
 「くだらなさ」というのは、わざわざ考えだすというのはなかなか難しい。考えが行き着いて「くだらねースよ」となることはあるけれど、「よぅしこれからいっちょくだらないこと考えるぜよ」と思ってもなかなか浮かばないものである。
 くだらないこと、くだらないことなんて真剣にワープロに向かい合っているうちにいつの間にか真剣なことを考えていたり、いつの間にか宇多田ヒカルの「Final Distance」を聴きながら涙を流していたり、いつの間にか本仮屋ユイカちゃんのブログの更新をチェックして「まだ更新されない!」なんてガッカリしていたりするものである。
 
 で。
 効率よくくだらないことを考えるために、最近はメモを持ち歩くことにした。
 ふとした瞬間に考えついたくだらないことや、人と話しているうちに行き着いたくだらない結末、街で見かけたくだらない光景などを書き留めておき、家に帰ってから整理するのだ。
 メモをするようになって、だいぶくだらないネタが集まってきた。僕がいま突然死んだら、僕の部屋には意味不明なメモが散乱している。
 
 「くだらなさ」による笑いというのは、ナンセンスによる笑いだ。僕はナンセンスの笑いが傾向としては好きである。
 ナンセンスの笑いは人を傷つけにくい。
 
 基本的に笑えるというのは幸福だと思う。不幸にあるものはあまり笑えないはずだ。
 けれど、笑いの種類を突き詰めていくと、人間は他者の不幸を楽しいと感じることがあることに誰でも気付く。
 ときに自虐の場合もあるけれど、人は人がひどいめにあうことをある程度楽しめるのだ。昨今のお笑い芸人の資質にリアクションが求められているのも、ひどいめのあわされ加減が見えることが笑いにつながるからである。
 
 けれど、ナンセンスによる笑いは例外である。
 「意味がない」「意味があるけどここでは関係ない」「意味が分からない」というタイプの笑いは、面白いし、誰を痛めることもない。「わかんない」ことを楽しむという高等な文化であると思う。突き詰めていくと、ここにもなんらかの負の要因があって笑いにつながっているはずだけれど、直接的でないだけずっといい。
 
 
 演劇では、ストーリーによる笑いをハイ・コメディ、キャラクターなどによる笑いをロゥ・コメディと言うらしい。シェイクスピアの「夏の夜の夢」でいうと、恋人を取り違えていくドタバタなストーリーがハイであり、ロバにされる職人のボトムなどの存在がロゥである。
 この分類でいくと、ナンセンスによる笑いはどこに入るのだろう。中間地点でミッドなコメディということになるのだろうか。
 
 もっとも下手を打つと、なにをしたいのか分からないという事態にも陥りかねないのが恐ろしいけれど。



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ぼくはただ彼女が描く、または彼女の目に映る純粋な世界の構成物質の一つになりたかっただけです(オキーフの恋人、オズワルドの追憶より)

 

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