好きだとか愛だとかいうこと

 ちょっと前にテレビである女優さんが「恋は自分の幸せを追求して、愛は相手の幸せを追求するのよ」と言っていた。ある程度、的を得てるような気がするけど、得てないような気もする。(どっちやねん)

 今日はそんなお話。

 自分の自分による自分のための、The1人舞台な片思いから、相手が加わるとそりゃあ、背負うものも一時は二倍になったりする。「楽しい事は2倍にも3倍にもなって、悲しい事は半分になればいいよね」っていうのが最初からうまい事いかないし、人を好きになるのはけっこうエネルギーを使うのでめんどくさい。でも、最初に頑張れば頑張るほど、後は案外うまいこと距離をはかったりできるもん・・・じゃないですか?そうですか、僕だけですか・・・。

 気持ちなんかが重なれば軋むよ。摩擦があるからモノも動く。でも、まぁ見つめる先の視線が同じならきっとうまくやっていけるよ。

 一生一緒に生きていく。なんて口に出すのは容易いけれど、好きなら結婚できる。なんて事も思っていない。思っていないからこそ、男は迷うし、女は涙を流す。

 これからずっと一生、子供生んで育てて、喧嘩別れせずに仲直りする努力。毎日話をして、たくさん話をして、すれ違いそうになったら追いかけたり引き戻したり、お互いがお互いを好きでいる努力をしなくちゃいけない。馬鹿な話。真剣な話。抱き合ったり、突き飛ばしたり、そういう努力を出来る自身のある相手じゃないといけない。難しい事だと思う。でも簡単な事だと思う。

 泣いたり笑ったりでは済まないだろう。傷付けたり、後悔したり、誤解をしたり、哀れみを感じたり、ほんの少しの同情もまざったり、やめようかなと思う事とか、信じたり信じられたり、思ったり思われたりする事が疲れた事も、逃げたい事もあるだろう。

 辛いけれど、好きだったら辛くないんだろう。

 愛って結局何でもいいんじゃないか?という道の、多分5分の2に差し掛かったあたり。

 手放したことのない人の「離さないよ」と手放したことのある人の「離さないよ」は同じ台詞でも口調でも言う人も、聞く人も、すごい重たさを感じると思う。そばにいる事の幸せ。絶対的な、ぬぐいようの無い幸せ。また手放してしまうかもしれない恐怖と、そうさせない決意。

 そばにいる事がこんなに努力しないと得られない。当たり前だと思っていない幸せの形。

 ってことをおいらは書きたかったんだっけ?ちなみに自分の結婚とかは考えてませんよ!!


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