いろいろと騒ぎがあったんで書こうか悩んだけれど

自分の意見も述べたいので自分のスペースに書かせてもらいます

内輪ネタでもうしわけないw

でも少しはみんなにわかってもわえることがあると思うから

最後まで読んでみて

 

確かにおれも今年の学校の方針には有り得ないと思った。

そこの気持ちはよくわかるよ。

学校からは何も説明はないし、学年主任との矛盾も不思議に思った。

おそらくうちの学年や他の学年への見せしめが少しあるんじゃないかな。

大切な友達が何人もいなくなるのはよくわかる。

けれど同時に少し仕方がないかなとも思う。

 

だって『学校』ってのはやっぱり『勉強をする場』なんだから

勉強をする気がないのなら落とすしかないと思う。

それに教員が言ってるみたいでいやだけど高校は義務教育じゃない。

勉強したい人が入りたくて入った場なんだから。

勉強がしたくない。

勉強が自分の人生において必要がない。

全然構わないと思う。

でも学校は勉強する場なのだろう。

少なくとも教員はそう考えている。

「こんな勉強して役に立つんですかぁ?」という生徒に対しては、どういう答え方をすればよいか。

学校での勉強が“必ず役に立つ”ことを教師が保証してやる必要なんてないし

そんなことは誰にもできっこない。

学校での勉強をこれからの人生において“役立たせる”かどうかは、生徒次第だと思う。

最近は『知識』じゃなくて『考える力』が重視されているが

そもそも“考える”ためには、その材料となるデータが必要なのであって、

データそっちのけで考えたり議論したりしても意味がない。

2001年9月のテロのあとでアメリカの教師たちがイスラムについての勉強会なんぞをやり始めた、

ということをTV番組でやっていた。

その中で、彼らは「われわれはイスラムについての知識と理解がなかった」と反省の弁を述べていた。

まさにアメリカの歴史教育はイスラム教における知識状況がなかったわけだ。

では、学校というのは生徒に何を体験させるところなのだろうか?

もちろん体験といっても、近年話題の“体験学習”ではない。

それは、いろんな教科を“修得する”という体験である。

それ以外に何があろうか。

ひとつひとつの課程(“課”という漢字には“ノルマ”という意味がある)をキチンとこなせた、

という体験こそが、これからの人生を生きていく“自信”になるのである。

それ以上に“役立つ”ことが他にあるだろうか?

例えば地理歴史公民科(要するに社会科)のような教科は、

世間で「暗記科目」などと言われている。大いに結構。

暗記科目で何が悪い。物を覚える、という能力ほど人生において

“役立つ”ことがほかにあるのだろうか。

 

まぁ言いたい放題いっちゃったなw

けれど決しておれは教員の味方をしてるわけじゃない。

むしろ、教員を初めとした大人はまったく信用してない。

学校の教員はもっと生徒の模範となるべきだと思う

進学校にするのも大切だろうが

『その前に学校は人を育てる場所』

『自分が成長する場』 

なんだとも思う

しかし、自分の成長は人に頼ったらいけない

こっちが成長するのに

教師を利用するべきだと思う。

抽象的すぎてわけわかんないけど

とりあえず頼らないで

利用されないで

こっちが利用してやる。

学校という組織を踏み台にして自分は成長しなきゃいけないと思う!

 

うん、自分でもちょっといいこといっちゃったかな♪

 

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