2004 6/13 求められるもの                                                        

「しゃべり場」という番組がある。

ぼくくらいの年齢の人たちが日常生活や人間関係、恋愛のことを討論(口げんか)する番組だ。

話し合うお題しだいでは興味深くて考えさせられてしまうのだけれど、出演している人たちを見ているとなぜか手のひらがむず痒くなってしまうため、あまりあの番組は見ない。

この前、友達が見たらしく、お題は「ボランティアはすべきかすべきじゃないか」みたいな話だったらしい。

出演していたある人は、7,000円のお小遣いのうち、3,000〜4,000円を恵まれていない子供たちに寄付しているらしく、その人は

「ボランティアは素晴らしいことだ。なんでボランティアをしないのか、みんなすべきだ。」と言う。

このような横断的な意見に反論が出てくるのは当然で、「ボランティアは素晴らしいものだけれども、自分たちのお金の使い方まで人に指図されたくない。」というごもっともな意見が飛び交う。

ぼくいはボランティア精神というものは皆無だ。「おもしろそうだ!」と思ったものには損だとわかっていても、お金と時間をいくらでも費やすことができるが、”アフリカの貧しい子供たちのために”、”学校に通えない人たちのために”など、そのために街頭に立ったり、河川の掃除をしたりと、無償で奉仕する喜びを理解することができない。

自分で思うに、それは実感が伴わないからだと思う。

小さい頃も、今も、自分が見たことがないものはホントに実在するのだろうかとよく考える。ぼくは何者かに管理されている、飼われているのだ。

たとえば、ある日、地図やニュースで見るアフリカ大陸に行こうと思う。そして地球の歩き方やビザ、切符などを手配したりすると、ぼくを管理している人たちはぼくがアフリカ大陸があるんじゃないかと思っているところに急いでアフリカ大陸っぽいものを作り、そこがアフリカ大陸だとぼくに思わせようとする。ぼくが今まで知り合った人たちはみんなぼくを管理する人たちの手先なのだ。

要は、会ったこともない人たちのために動けない!ということだ。続く。

2004 6/7 求めるもの                                                        

ここにはコラムっぽいものを書いていこうかなぁ。リニュりて〜

自分は記憶力が悪いほうだと思う。ぼくは人の名前や顔、誕生日をまったく覚えられない。一緒にアメリカドラマ『24』を見る友達がいるけどその人たちの名前をあだ名だけが先行してしまって覚えることができない。あだ名が逆にアダとなってしまっているのだ。

昔の思い出を白い霧が霞んでかかっていてはっきりと思い出すことができない。高校生のころのぼくは何を考え何をしゃべっていたんだろう?日記つけとけば良かったな。

しかし家族の次の次くらいに身近な人にしてみれば、ぼくの記憶力はいっぺんして「いい部類」に入ってしまうらしい。人にされた不快なことやとてもくだらないことをよく覚えている。まったく生活するのに支障はないというのに・・・。ちなみに昨日はフランスではノルマンディー上陸作戦の記念日だ。

たぶん、思うに使う脳が違うんじゃないだろうか。ぼくは一時的に記憶しておかなければならない部類の記憶力が悪く、何かの拍子に刻まれた覚えておく必要もないことに多くを費やしているのだ。なんとも不便利で中途半端なんだろう。

また別の働きで『想像力』ってのも人それぞれだ。関連性のあることを素早く引き出せる人もいるし、関連性がないが突飛なアイデアを閃く人もいる。まぁ、残念ながらどれにもあてはまらない人もいる。

よくよく考えると「記憶力」と「想像力」は反比例しているように思う。その両方が揃っている人はそうそういない(両方ない人もたまにいる)。傍から見て(仲がいいとかそんなじゃなくて)いいコンビだなと思う二人は大体この2つに役割が分かれている。

小説を書こうとする時に思うのは「普通に考え付いただけではダメだ」とうことだ。筋がハッキリしていて起承転結な作品は誰だって書けるだろう。『世界の中心で愛を叫ぶ』なんてその典型だ。いかに、「うほっ閃いちゃたもんね☆」って要素が加わるかが文学のおもしろさなんだと思う。

単純さと複雑さのあいだ、古いものと新しいもののあいだ、そういうところに閃きは眠っている。鉢の中に潜んでいるザリガニをスルメで吊り上げるように、アイデアという不確かなものを浮上してくるのをまたなくてはいけない。

夜見る夢が荒唐無稽なのは、一説には脳内のプラズマ放電によって記憶がでたらめに開かれるからだそうだ。意識の中でその放電ができるものが、自由な発想力を持つのではないかとよく考える。そしてそれが自由に行えたら、どんなに素晴らしいのだろう。

実際にそんなすごいものは降りてきてくれない。でも3人よればなんとやらという。数人でアイデアを出し合って話し合う醍醐味はそこにある。ザリガニ釣りの共同作業だ。みんなで作れば凡人のアイデアもそれなりに輝いてくる。生徒会が懐かしい。そして大学でもその楽しさを求める自分がいる。

2004 6/6 更新再開?                                                        

やっとこ、ホストのパスワードとかがわかったんで

更新が再開できそうです。

けど、愛用してたFrontpage Expressが

はいってないんだよなぁ〜。

もしやタグ打ち!?だるぅー

ってなわけで新しくコンテンツが増えたりするのは

もう少し時間がかかりそうなのです。

2004 3/27 He has gone to Kyoto                                                        

まぁご存知の通り、明日、京都に越します

このパソコンはもっていかないので日記変わります。

言わなくても元気だろうけど

みなさん、元気でっ

2004 1/31 道元                                                        

その心

あながちに切なるもの

とげずということ

なきなり

2004 1/1 謹賀新年                                                          

明けましておめでとうございます。

みなさんは年越しの瞬間は何をしてましたか?

おれは病み上がりだったので大したことはできなかったけれど、だれも来ないと思われる神社に行って初詣してました。

どうしてみんな大きい神社のほうがいいんでしょうかね。すれ違う人みんなそっちに行ってました。

ってか初詣って寺だっけ?神社だよねぇ・・・。日本はムズいです

 

新年メールや年賀状をくれた方々。見たときはとても嬉しかったです。

これを見てない人たちも大勢(ってほどでもないが)いるけれど、この場を借りて御礼申し上げます。

受かったら、来年こそは手刷り年賀状を送ろうと思っていますんで覚悟しといてくださいw

『受かったら・・・』

もう何を語るにつけてもこの言葉が付きまといます。

はやくこの条件節を取り除きたいものですね。

 

さっきも書いたけれど、ここんとこずっと熱で寝てました。

日記もちょこちょこ書いてたけど、書くだけでアップし忘れてたみたいですw

アップしといたんでまぁヒマだったら見てやってください。そして哀れんでください。

31日の日記にも書きましたが、今年の目標は

『思ったよりもやり過ぎた』でいこうと思います。

なんか怠けてるおれがいたら、『口だけなのかよ、おぃ』とケツを蹴っ飛ばしてください。

 

みんなはどういう1年にするつもりですか?

自分にとってもみんなにとっても良い1年にできますように

 

あ、ちなみに期待はされてないだろうけど、コラムとか小説とか落ち着いたら更新していこうと思ってるんでよろしくぅ

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