記念すべき第1作目

今日は優等生というものを定義してみようかと思う。

まずは当たり前のように辞書をひいてみる。

『優等』:ほかよりすぐれているもの

と、あった。

ようは自分の学校の社会科教師みたいな言いぐさだが

全て相対の上で成立しているのが『優等生』である。

そりゃそうだ。まわりにだれもいなきゃ成績なんて比べようがない。

しかし彼(彼女)らは究極的に相対的なのだ。

第一に彼らは全てを相対的に見て、感じ、自分を作るのだ。

例えば、偏差値。相対と代表みたいな産物だ。

あと男の場合ズボンの丈。人と比べて短い。

なぜか立っているだけで靴下が見える。

その見えてしまう靴下も異様に白い。

もうちょっと服装について考えてみよう。

彼らは青いジーパンを好むような気がする。

黒のジーパンなんて邪道である。

ジャージなんてもってのほかだ。

そして白地のTシャツ。

かならずと言っていいほどTシャツをズボンの中にいれる。

おそらく親の教育だろうか。

なんとなく優等生がなんであるか見えてきた。

これは男女共通であろう。

髪には絶対に整髪料はつけない。

そしてコンタクトではなく分厚いメガネ。

インテリである証しだ。

なぜかコンタクトはぜったいにつけない。

なぜコンタクトをつけないか?

その考えはピアスの考え方と同じであると思う。

ピアスはなぜ40代以上の世代でイヤな顔をされるのだろうか。

それは母親からもらった体を

若いくせに傷つけるのは言語道断である

と考えるのであろう。

まったく第2次ベビーラッシュ世代らしい古い考え方だ。

大抵の学校でピアスは禁止されているのも

学校の中心の役職を占めているのが

もっと古い50、60代の世代であるからだ。

彼らの考えはさらに発展する。

体を故意的に傷つけるような邪道な行為をすると頭が悪くなり、

さらに風格が乱れ全体がそれに感化され、

りんごが腐ると回りのりんごが腐るのと同様に

全体の若者が腐っていくのだ。

彼らが言う「最近の若者は・・・」とは

このような考えに基づいているのだ。

だいぶ遠回りになってしまったが、

コンタクトも同様に体の中にいれるものだ。

彼らの親は5,60代の中でも

特に復古的な考えをもつような者であり

学歴社会を信仰するものであり

校風のいい学校にいれたがるさらに右翼だ。

そして優等生の彼らは親の傀儡となり

いまだ学歴社会である、異国『行政機関』へ行く。

そこは彼らにとって天国である。

そして彼らは日本の将来を担っていく。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送